タイトルのワケ

どんなものでも、タイトル(=名前)のつけかたはなかなか難しい。ここは写真のサイトなので、サイトの名前・掲載する写真の名前が、問題としたいタイトルにあたる。
サイト名については、ここの『「Hello!」のワケ』(2004/05/29)を参照してもらうとして、頭を悩ませるのが載せる写真のタイトル。
タイトルは、その中にどんなものがあるのかを嫌でも見る側に意識させる。これが楽しいところでもあり、なぜ作者はこうしたのかを考えることにはそれなりの価値があると思う。なので現代アートとかでたまに乱発される「無題」とか、なんかむかつく。
余談は置いといて、ところで第1回のタイトル「上野日暮し」はどうだったのかな?
HOMEページの写真をクリックする前に、なんとなく「感じ」が頭のなかに浮かんだのであればこちらとしては幸い。
もしくは、初めはワケわからなくても最後の写真を見たころには「なるほどね」というのも、良しかな。
それで2回目の「ただひとつ、できること。」について。1回目に比べて、これはどうか。
実は掲載の翌々日に、見た人から「タイトルと写真がつながらないのだけど」とさっそくのコメントをくらっていました。
悪いことに「お願い、わかってくれ」という気持ちでこれをつけたのだけど、肝心の写真が気持ちに追いついていなかったか。。。(写真がもっと良ければこんなことはないのだろうけどなあ。)
なんにせよ、こうしたのにはそれなりのワケがあるし、ワケもなくタイトルをつけることなんて普通はありえない。でもそのワケを知っているのは結局は本人だけであって、その他の人々は写真を通してしかそれを推測しえない。だから今回のようなコメントをもらうと、本当にデリケートな問題なのだと考えさせられる。

写真雑誌などでは、よく次のことが言われる。

(1) タイトルは作品に対して説明的である必要はない

(2) 写真が良くてもタイトルがダメだと結果としてダメ


(1)の「説明的である必要はない」というのは、例えば子どもの写真に「子ども」とタイトルをつける必要はないということ。つまり、見ればわかるものをわざわざ説明する必要はないということで、作品‐タイトルは同じもの(子ども)を指示するのはあまり意味がない。
(2)は、(1)の例でも分かるように、「『子ども』と名付けるセンスはちょっとダサい…(作品も)」という感情によるものだと思う。
でもここで、タイトルをつけた「ワケ」に注意しなくてはいけない。
本人は「子ども」に何かしらのイメージを託しているわけで、そこに「純真さ」とか「幼稚さ」とかを見ているのだろう。でも皮肉にも他の人にはそれが見えない。人によっては「ガキかよ!」とか、全然別のイメージが見えてしまうかもしれない。
結局、「子ども」は写真には説明的ではあるけれど、肝心の「ワケ」を説明してはいないということになる。
さらに、逆にひねりすぎたタイトルもマズイ。「純真さ」を意図して「Pure」とかならまだいいとしても、「純」とか分かるのかな?(われながらこの発想に自分のセンスを疑う…)
ストレートに説明的なのも逆にひねりすぎもタイトルとしては良くないのなら、じゃあ、ひねり加減はどれぐらいがいいのか?
うーん、、、タイトルのデリケートさにまずは一度悩んでみてください。
(え?結局「ただひとつ~」のワケは何かって?えーと、長くなったのでまた後日。)

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