この前、「森山・新宿・荒木」展に。
アラーキーは好きと言える数少ない作家の一人。対する森山氏はすごい写真を撮るものの、「うさんくささ」が先に立ってしまって素直に入り込むのが悔しい作家。
でも大伸ばしにしたモノクロの新宿は、細やかな感受性とかを吹き飛ばしてしまう。
そこに、情けなんてないです。眼とつながる感覚を、ぐいっと鷲掴みにしてくる。そんな、心だけではなく、体で感じる作品でした。 腑に落ちないところはあるけれど、正直、誤解してたのかな。

こう思うのは、会場で『≒森山大道』(「≒」ニアイコール)というドキュメンタリーを見たというのも大きい。
この人は写真について考えて考えて、本当に苦しんだという。でも彼は、彼の親友の中平さんとは違って、ちゃんと此岸に戻ってきて、今も撮りつづけている。しかも何十年も同じスタイルを維持しつづけている。(これをマンネリと言うには、作品に対して非力だと言うしかない。。)
そういうわけで、すげー、でした。

余談

映像の中で、森山大道がひとつの表現を求め確立したことに対して、西井一夫という編集者は、若い人たちは「自己表現」といっても求めているのは「自己」であって「表現」を本当に求めてはいない、と言う言葉は、きた。

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本命アラーキーには会えなかったけれど、森山さんには。このときはあまり良い印象はなかったです。それ故に、もうちょいうまく質問したかったなー
NADiffのトークにて。
あと、中平卓馬さんは「彼岸」に行ってしまったとはいえご健在です、念のため。

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