石を投げられるのが怖くて黙っていたのですが、告白します。
私、「自己」アリアリの表現とか、「私」があればそれで価値があるというスタンスに対して、非常に反動的でした。
極端な言い方だけど「僕が見ているそれ(=僕)を見ろ、私が好きなあれ(=私)を好きになって。」
これ、なんだか「甘えている」というか、「世界に対して感じるナイーブな私」とは、根拠としてどれほどのものなのか??と半分切れ気味で問いかけたくなることがしばしばだった。
そんなことやっていいのは後にも先にもゴッホだけだぞ、みたいな。

でもこれは過去型です。
今もその要素は残っているけれど、周囲や自分の中の私的な要素に対して鈍感でありつづけることが辛くなってきています。なんだかそういう方へ、穏健な方へ、転換しつつあるというのが最近です。(根競べに負けた、ということか?)

ところで中平さんをご存知でしょうか?
え?森山の好きな写真家でしょ、って?

というのは脇に置いといてですね、中平卓馬とは、以前触れた森山大道氏とかと60年代~70年代に「アレ・ブレ・ボケ」の写真表現と鋭い批評で写真界を席巻した伝説的人物、、ということになっております。
彼に関する代表的なキーワードは『プロヴォーク』という同人雑誌(副題は「思想のための挑発的資料」)。
そしてもうひとつ大事なのが、『なぜ、植物図鑑か』。
なぜ、「植物図鑑」なのかというと、モノを撮るならばそのありのままを撮ればいい。撮り手の感情や主観なんかいらない。モノが私たちの存在とは無関係に、厳然としてモノであるというリアルさ。これをカメラで受け止めることが我々の使命だと。
つまり図鑑のような、自分らしさとか私的な要素を取り除いた写真。そういうものを目指そうと言った人なのです。
ラディカルで、先鋭。そして刺激的です。
この評論のしばらく後に、彼は飲みすぎで昏倒し、記憶喪失になりしばらく姿を消してしまう。
ここまで、「かなり」端折ってます。とりあえず、中平さんはこんな人です。

この人を知ったのは、横浜美術館で行われた一昨年の回顧展『原点復帰』。
前知識なしに見て、「ふーん」という程度の印象しかありませんでした。でもなんかすごそうだ、ということで彼の特集雑誌やらを読んでいくうちに「なかなかすごそうだ」と。
先の切れ味の鋭い評論に触れたのもこの頃です。
そして、読めば読むほどこの人の考え方はすんなりと受容することができました。

高校のときに絵を描きながら、「自己」表現ということにずっとモヤモヤしていて、大学に入ってからも違和感は消えなかった。卒論も「私」をテーマにすることで内にこもるばかりの現代の表現に対する批判のつもりでした。
そんなときに、「私」が持つイメージで表現することは、目の前のモノを身勝手に歪めることであり「世界の私物化」である、という中平さんの意志表明は、自分にとってはまさに「来るべき言葉」だったのです。ようやく仲間を見つけたという、無邪気な喜びがともなう出会いでもあった。

すでに感じ取った人もいるかもしれませんが、この極端なリアリズムは情緒的で詩的な要素に「対して」置かれたものではなくて、結局のところそういう私的でロマンチックな詩情(私情)の「内から」生まれ出たものだということは認めなくてはいけないところです。
その辺りを言い出しっぺの中平さんは痛いほどに分かっていたわけで、無茶して自爆してしまった。そしてその自爆自体にも、すでに「甘え」があったと思う。

『なぜ、植物図鑑か』という考え方は強力な武器である反面で、下手をすると呪縛となってしまうものです。自分の内側の、やわらかい部分を縛りあげてしまう。
しかし一方で、行動の基点がどうしても「私」になってしまうのであれば、考えたり何かを作ったり、人のを見たりするうえで、一つの戒めとして片隅に残すべきものではないか。この棘(とげ)を抜かずにもう少し、、、と考えつつ、日々云々しております。
マゾですね。


※以下は手近な補足資料。文字ばっかですが、大体のことが分かると思います。
「悲しそうな猫の図鑑はない」のです。

写真集団「PROVOKE」の価値(ワークショップ「Ag_texts」より)
書評『中平卓馬の写真論』(慶応SFC?坂田氏書評より)

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