さて、『写真はものの見方をどのように変えてきたか』、2回目です。※
前回『作用・反作用(1)』(2005/05/09)は「生まれましたよ!」というお話でした。この「誕生」は、人々に驚きをもって迎えられる。でも、その存在が生んだほうも生まれた本人も、実はよく分からない。
「いったいこの子はなんなのか?」
「いったい自分は誰なのか?」
その模索を経て、ひとつの自我に目覚めるまでの流れをまとめたのが、今回の「創造」。
まず、写真を生んだのは誰なのかと過去を振り返ったとき、絵画の姿がちらつきます。
暗い部屋(カメラ・オブスクラ)に小さな穴を空けると外の世界が壁に映り、それをトレースする。ルネッサンス期の画家はそのように風景を描いた。写真(正しくはカメラ)の原理はすでに昔からあったわけです。
ここで「写真」になれないのは記録するフィルムのような存在が足りなかったから。でも来るべきときが来て、「誕生」へと至る。飯沢耕太郎いわく、ここまでの絵画は「ゆりかご」のような役目を果たしたと。
最初に写真に与えられた役目は「記録」でした。生まれては死んでいく人々の顔や、戦争というものを記録する役目が与えられた。その点、かなり優秀だったはず。
でも、そんな完璧ともいえるような彼の仕事を憎む人々が現れる。憎んだのは、育ての親である絵画であり当時の画家たちだった。
アングルという新古典主義の画家は、写真を駆逐してしまえば良いと言いました。つまり、絵画のポジションをのっとられるのが怖かったのです。
この「突き放し」から、写真は自分の力を実感したはずです。自分は親をも震え上がらせるような力を持っているのではないか、と。ルーチンワークになりつつあった「記録」から、自ら目指したのは「創造」です。親にも認められるような「芸術」になりたいという野心を抱く。そして少しずつ自分はどんな表現ができるのかを模索し始めます。
その第一歩が、今回のキーワードになるピクトリアリズム(絵画主義)というスタイルです。
え?と思われるかもしれません。
それはおそらく仕方がなかった。結局手本とするのは、親である絵画しかなかった。絵画のような構図とテーマを真似、モネのような印象主義を真似る。権威であった絵画に自己を同一化することで、芸術になろうとしたといえる。
この出発は葛藤を抱えながらも、さまざまな表現を生む実り多い時期だったようです。(実際、一部とはいえいろいろな工夫や演出のなされた写真が展示されていて、すべてが好みではないとしてもなかなかおもしろかった。)
そんなふうに感情や世界を表現する力をつけていく中で、とうとう待ち望んでいた「ずれ」が起こります。フォト・セセッション。
そのままを撮る。見たものを加工しないで、ストレートに捉える。一見「記録」のようだけれど何か違う。おもしろいことに、そこには意思があり「人間」の姿がある。必ずしも写っているものが人の形をしているわけではありませんが、撮り手の息遣いや主張が感じられる。
「記録」が「世界を伝える」のであれば、写真の新しい力は「世界に生きる人間を伝える」ことと言えるかもしれない。ようやくここで自我に目覚め、親である絵画とは少し異なる道を歩み始めたわけです。
そして気づけば時は20世紀。
経済システムは高度化し、大きな戦争も起こる。国家は主義に沿って対立し手も結ぶ。
マスの時代になった時、写真の獲得しつつあるこの力を人々は放っておかなかった、というのは次のお話です。たぶん。
※いつのまにかこの2回目「創造」、終わってました。現在「再生」開催中。(9/11(←!)まで)
- 第1部「誕生」:4/2 sat → 5/22 sun
- 第2部「創造」:5/28 sat → 7/18 mon
- 第3部「再生」:7/23 sat → 9/11 mon
- 第4部「混沌」:9/17 sat → 11/6 sun