写美の企画展、第3回目です。
時は20世紀。自我に目覚めた写真は新しいステージに入ります。

キーワードは「フォトジャーナリズム」。
むむ、だけど実はよく分かっていません、この言葉。
直訳すると、、報道写真?写真で報道?

うーん、「報道」という言葉に対してちょっと緊張感。「言いたい事はわかるが、事情があって受け取れません」という、玄関口でセールスを断るときのようなやや困った心境。
もう当然のことだけれど、それが信じるに足るものなのか、分からないじゃない?
同じように一枚の写真は文脈の中から意図的に抜き出されたものだし、いろいろな味付けがされたかもしれないわけです。そういう意味で、ショッキングだったり感動的だったり風刺的だったりしても、「それが本当かどうか」という判断は脇において眺めたいし眺めざるを得ない。
そこで我慢しきれなくなって、「どうせウソでしょ。誇張。コ・チョ・ウ!」って言い切ってしまうと、「本当だって!信じられるさ!」っていうのと同じくらいせっかちなわけです。つまり、それは「ホントだろ/ウソでしょ」という判断を下せないまま見る者の理性は宙ぶらりんになってしまう。
といわけで、先の緊張感につながるわけです。
(いや、宙ぶらりんに「なってしまう」というのはウソかもしれない。正しくは宙ぶらりんに「しておきたい」というのもあるのだろうけれど。。。)

って、なんか企画展からそれちゃいました。
それですみません、この展示、実はもう終わってます。
終わったものをあれこれ言うのってちょっと卑怯なところもあるのですが、一言にしてしまうと、、「あんまり期待したものじゃなかった...」です。
だってさー今まで舞台は西洋での写真の黎明期からその次のステージに至るスリリングな広がりを見せていたのに、日本の戦時期に軟着陸しちゃうんだもん。
別のもっと本質的な視点で、写真が目覚めた「自我」、つまり「新しい力」であるフォトジャーナリズムについて教えてくれると思ったのに、戦時期はこんなに写真家は抑圧されて葛藤して表現を求めたんだよ!っていう日本史に収まっちゃった。
それってタイトルと違わなくない?「写真はものの見方をどのように変えてきたか」でしょ?
人間の知覚や認識の仕方が、写真の「新しい力」をどう利用し、逆にその力にどういった取り返しのつかない影響を受けてしまったのかを検証して欲しかった。というのが個人的な感想でした。

というところで、次回はいよいよ最後です。どう〆るのか、しかと確かめてきます。

そして会期中にテキスト上げます。たぶん。


  • 第1部「誕生」:4/2 sat → 5/22 sun
  • 第2部「創造」:5/28 sat → 7/18 mon
  • 第3部「再生」:7/23 sat → 9/11 mon
  • 第4部「混沌」:9/17 sat → 11/6 sun


http://www.syabi.com/topics/t_10anniversary.html

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